神楽坂の藝術座、藝術座の神楽坂
今年2016年の芸術座創立100年委員会は、芸術座がホームグラウンドと定めた「神楽坂」の地に注目します。つけましたタイトルが、その名も、『神楽坂の藝術座、藝術座の神楽坂。』というものです!
- 日時:10月1日(土)午後1時30分開演 ※受付開始(会場)は午後1時です
- 会場:牛込箪笥区民ホール 2階 大ホール
- 料金:2,000円
- 終演は、4:00pmほどを見込んでおります
<第1部>シンポジウム 60分ほど
- パネリスト:相沢直樹(山形大学教授)、岩町功(島村抱月研究家)、木村敦夫(東京芸大講師)、谷口典子(新宿郷土史研究家)、南平かおり(早稲田大学講師)
- タイトル:「芸術倶楽部〔くらぶ〕とは?」
芸術座がホームグラウンドと定めた神楽坂に建てた劇場が「藝術倶楽部」でした。「芸術倶楽部」は、芸術座の稽古場でもあり、抱月&須磨子の住まいでもあり、また、他の劇団に破格の低料金で劇場として貸し出しもしました。
抱月がその「芸術倶楽部」をなぜ神楽坂に建てたのか、「芸術倶楽部」をめぐる人士の活躍はどんなものだったのか、芸術座には抱月以外にどのような人士がいたのかなどについて、パネリストたちが熱く論じ合います。
ご期待下さい!
<第2部>ミニ・ライブ「大正時代を歌う!」 60分ほど
- 祥子(ボーカル)、マーク・イースト(ギター)、芳晴(二胡)
編成を見ればお分かりのように、ユニークなバックバンドを従えて歌姫・祥子が、お馴染み『カチューシャの唄』や『ゴンドラの唄』を初めとした大正時代~昭和初期の歌謡を歌います。祥子とバックバンドの面々は、大正時代の装いにて舞台に上り演奏します!乞うご期待 !
なお、今回の10/01event(シンポジウム+ミニライブ)については、フェイスブックでもご案内申し上げております。
チケットは、まだ、多少余裕がございます。ぜひお出でくださいませ!楽しいことこの上ありません!お待ち申しております。
お問い合わせ、お申し込みは 070-4386-0417(芸術座創立100年委員会)までお願い申し上げます!
もしくは、木村あつお atsuo.kimura@nifty.com a.k.spasibo@docomo.ne.jp
芸術座の名前をお聞きになったことはありますでしょうか?
劇団「芸術座」は今から103年前、1913年に生まれました。
早稲田大学の教授の職を辞して演劇活動に人生の活路を見いだした島村抱月と、一世を風靡した女優・松井須磨子を中心として結成された劇団が「芸術座」です。その当時(19世紀末~20世紀初頭)ヨーロッパでわき起こっていた近代劇活動を日本に移植しようという意図のもと、芸術座は誕生しました。そして、イプセン、メーテルランク、チェーホフの生きのいい芝居を上演しました。芸術座を世に知らしめることになった『復活』は、トルストイの長編小説を抱月が脚色したものです。
芸術座は、抱月が1918年11月にインフルエンザで急逝し、翌1919年1月に松井須磨子が自死してしまってことにより、空中分解し、活動を停止してしまいます。芸術座は、わずか5年半ほどしか存続しませんでした。島村抱月が早稲田大学教授の職を辞することの原因となったのは、妻子ある彼と女優・須磨子との恋愛事件でした。当時のマスコミはこぞってこの恋愛スキャンダルに飛びつき、あれこれ書き立てました。劇団の誕生時からそのようなスキャンダラスな雰囲気に包まれていましたが、その終焉も、また、スキャンダラスなものでした。抱月が病死した後、須磨子が後追い自殺したわけですから。芸術座と言うと、まず、思い浮かべられるのが、松井須磨子と演出家・島村抱月のスキャンダルだというのは、無理のない話しかもしれません。
しかし、島村抱月には、志半ばで逝ってしまいましたが、稀有壮大な夢がありました。芸術大学をもしのぐような総合芸術教育センター/総合芸術センターを設立しようという、まさに雄大としか言いようのない夢を抱いていたのです。その夢に向かって彼は、芸術座の演劇活動をしていました。女優・松井須磨子の素晴らしさ、芸術座の活動に加えて、抱月のその見果てぬ夢を顕彰し、次世代に伝えようというのが、私たち「芸術座創立100年委員会」の目標です。
私たちは、芸術座創立100年の2013年から活動を開始し、今年2016年で、4回目となります。毎年、皆さまがたのご支援によって、活動を続けること出来ています。なんと申して感謝申し上げたらよいのか分かりません。ほんとうにありがとうございます。
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