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日本ウラジオストク協会会員岩佐毅さんの「孫に残す私の履歴書」 - 講演会報告

2017 年 7 月 23 日京都市四条河原町のレストラン「キエフ」(歌手・加藤登紀子さんの長兄が経営)において、岩佐毅著『落第社長のロシア貿易奮戦記』を語る講演会が開催されました。このレストランが定期的に行っている文化サロン「ロシア研究会」第 27 回例会のこの講演会には、ほぼ満席の約 50 名の聴衆が集まり大盛況のうちに幕を閉じました。

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我にナジェージダ(希望)あり―石巻若宮丸漂流物語

協会会員の大島さん(2月に入会、世界のサーカスを日本に読んでいるプロモーター)がご出身地、石巻の実話に基づく小説を出版されました。2017/6~7月には大島さん講師になってもらって懇談サロンを開催したいと思ってます。

大島さんの Web サイトより:

「石巻日日新聞」で2012年4月2日から翌年8月30日まで連載した小説『我にナジェージダ(希望)あり』を冊子にしました。1793年に石巻から江戸へ向かった廻船若宮丸の乗組16人は嵐に遭い、約半年の漂流後に極北のアリューシャン列島に上陸。ロシア人に助けられてシベリアを横断し、世界を一周して故郷に帰るまでの12年間の苦難に満ちた実話に基づいた小説です。
 

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極東ロシアの経済と日本(雑感)1 - 2016年の極東ロシア経済

日本ウラジオストク協会 浅井 利春

記事一覧

2016年9月に一年ぶりにウラジオストクに行ってきました。
ロシア経済の低迷が言われて長いので心配しながら行ったのですが、町を歩いている人の表情はほとんど変わらないし、レストランでもみな以前と同じようにお酒を飲んで食事しているし、どこに不安があるのだという感じでした。ただ違うのは、スーパーマーケットに行ったら、海外の輸入品がほとんどなくなっていた。私がウラジオストクにいたころは、スーパーマーケットの商品の7割ぐらいは外国製品でした。そのうち半分は日本製品で、あとアジアやヨーロッパから入ってきた商品だったのですが、それがほとんどなくなっていました。

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かわいいお土産屋が OPEN

若者にうけそうな、かわいいお土産屋が OPEN しました。
入り口の張り紙「お土産ウラジオストクを提示」なんとも言えない日本語がまた嬉しいです
フォーキナ提督通り10a
尚、ネタ提供元は当会法人会員JATMさん。
同ネタは、フェイスブック「ようこそ!ロシア」でも見ることが出来ます。



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戦前のウラジオストク総領事

廣瀬日本ウラジオストク協会名誉会長より杉原千畝の発給したヴィザを携行したユダヤ難民を敦賀行きの日本船舶への乗船を助けた根井三郎元ウラジオストク領事代理に関する新聞記事(3月14日付宮崎日日新聞)の提供が有りました。どなたか根井領事代理に関連する情報をお持ちの方がおりましたら事務局宛てにご連絡下さい。

根井三郎氏の写真発見 杉原千畝氏と命のバトン より引用:

第2次大戦中のソ連(現ロシア)・ウラジオストクの総領事代理として、ナチス・ドイツの迫害から救う「命のビザ(査証)」を認め、ユダヤ人を日本へ渡航さ せた旧広瀬村(現宮崎市佐土原町)出身の外交官、故・根井三郎氏(1902~92年)の写真が、同町の親族宅に保管されていることが分かった。人道的立場 からビザを発給した外交官の故・杉原千畝(ちうね)氏(1900~86年)と“命のバトン”をつないだ関係にある。根井氏については国内外で顕彰の動きが 高まっているが、資料がほとんどなく、研究者は史実の解明に期待を寄せる。

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(開催報告)日ウ協会懇談サロン「中東の危機とトルコ、ロシア」

日ウ協会懇談サロン「中東の危機とトルコ、ロシア」 レジュメ

日本ウラジオストク協会・名誉会長/理事 廣瀬 徹也

オスマン帝国の興亡

  1. 多民族イスラーム帝国
    • 三大陸にまたがるオスマン帝国(1299-1922)はスンナ派世界の覇者(16世紀ころよりスルタンはカリフも兼ねたとされる)として君臨。多民族・多宗教共存の体制、キリスト教徒・ユダヤ教徒は「啓典の民」として、教会を中心に自治も許された。
    • 18世紀アラビア半島で初期イスラームに戻れとするワッハーブ派が誕生。→今日のイスラーム主義のなかでも厳格なサラフィー主義につながる。
    • 18世紀以降欧州との力関係は逆転し第一次世界大戦敗戦後帝国は崩壊。
       
  2. 英仏の帝国主義的野望が現在の中東混乱の源
    • 第一次大戦中の英国の三枚舌外交と戦後の英仏によるオスマン帝国領勢力圏分割(「サイクス・ピコ」体制)で、パレスチナ問題が発生、民族・宗派分布を無視した人造国家イラク、シリア、レバノンが成立、クルド人が四か国に分断されるなど現代の中東混迷の種がまかれた。
    • アナトリアではムスタファ・ケマル(アタテュルク)は民衆を結集して国民国家「トルコ共和国」を建国、徹底した脱イスラーム・西洋化によって近代化をはかった。「世俗主義」(徹底した政教分離)を絶対の国是とし、「トルコ・ナショナリズム」を国民統合のイデオロギーとした。→第二次大戦後、議会制民主主義が定着、中東随一の安定勢力 「トルコ・モデル」?
    • クルド問題が内政上最大の課題

続きは地図の下のリンクより。

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カムチャツカの日本人商店について・日本ウラジオストク協会理事 堀江満智

カムチャツカというと一般に連想されるのは、雄大な自然や温泉、江戸時代に日本人漂流民が流れ着いた岬、漁業活動などかもしれないが、20世紀初頭にはペトロパブロフスク・カムチャツキーでも日本人の商店や交易など、ウラジオストクに始まる一連の極東ロシアとの近代的交流の一端があったのだ。
2015年9月にここを訪れる機会を得た私は、家族の足跡とともにそういう背景も知りたいと思った。私の家に1921年頃の「堀江商店ペトロパブスク出張所」の写真が遺されていて、「正面玄関に緒方領事、菊地商店主、堤出張員、ラザレフが立ち居り」との説明があり、ロシア的な木造家屋に雑貨販売という看板や後方に小さな教会も見える。

私の父、堀江正三(1898-1965)は東京外語ロシア語科を1919年に卒業すると、ウラジオストクで祖父がやっていた 堀江商店(食品製造、貿易)に戻ったが、自分で新天地を開拓すべくカムチャツカへ渡った。子供の頃からウラジオで暮らしロシアの文化や国民性も周知してい た正三は、商売だけでなく文化交流も夢みた。1918年には日本領事館ができ緒方領事が赴任していた。
しかし革命に続く「シベリア出兵」のさ中の厳しい情勢で長くは続かず、1922年にやむなく日本へ引き揚げた。他のもっと大きな商店も同様であった。

写真左: 堀江商店出張所の後方の教会(現在)
写真右: 堀江商店出張所の後方の教会(100年前!)

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松江の牡丹がモスクワに進出するまで

山陰支部より:

「ロシアNOWニュースと解説」に、牡丹輸出に関する面白い記事が出ています。 浅井事務局長やオーリャさんの名前も出ています。
松江の牡丹がモスクワに進出するまで

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ウラジオストクの日本人:生活のモザイク模様

去る 2015/1/26 のゾーヤモルグン先生来日記念懇親会には、当会とユーラシア協会の呼びかけにより、27名もの方が集まりました。改めてモルグン先生の交友域の広さに驚かされた次第です。

最近の著作(2014年)が「ナウカ・ジャパン」で購入できるようです(ただ、在庫もっていないようで、注文後発注だそうです。ナウカによると 1 ヶ月待ちだそうですが、本当に手に入るかどうかはわかりません、ツテがあるかたは現地で直接購入することをおすすめします)。
ゾーヤ・モルグン ウラジオストクの日本人生活のモザイク模様 1860~1937年
Японская мозаика Владивостока: 1860-1937 (Картина жизни Владивостока на примере японской диаспоры).

アルセーニエフ博物館が出版元なので、もちろんウラジオに行ったときにも購入できると思いますが、何せ1000部しか発行していないので、早く手に入れておかないと無くなる可能性は十分にあります(いい本はすぐ売れ切れて、その後お目にかかれなくなる、ロシアでは良くある話しです)。

モルグン先生が当時を知る方々(居留してた方の遺族など)から聞き書きしたものをまとめた本です。

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